そうです。
さぼりまくってました。
何も別に好意的にサボタージュしていたって訳ではないんです。
だけど、なんか書く気になれない、というか何というか。
そんなところです。
忙しい毎日を送っているわけですが、最近自分も段々この競争社会とやらの渦中に飲み込まれてしまった気がしてなりません。時間が過ぎるのがとてつもなく急速に感じる現代を生きるわたしなんですが…。
出来ればこんな社会的なものを忘れ去って一人で、或いは二人又は少人数でどこか静かな土地でのんびりとしていたい。そうやって全ての束縛から抜け出して質素ながらも平和な暮らしができればそれ以上望むことなんてないなあ。と思います。
人間の欲望は尽きることなく、何かを求めそれを手に入れた途端にまた更に何かを求め始める。
一体どれだけ手に入れれば気が済むのだろうか。そして、手に入れた分どれだけもっと大切な何かをどれだけ失えば気が済むのだろうか。そして、どれだけ手に入れて失えば気がつくのだろうか。
なんてね^-^;;;;;;;;;;;;
こんばんは。寒さにも負けずに頑張っているVedrでございます。
さて、ここ最近はちょっとした『日記』、すなわち個々による日々の内容にではなく、
異なった趣旨を私の視点や思考で書かせてもらっていました。
そこで、今日もそういった感じの中身となる予定です。
少なくとも現在書き始めの今の心境としてはですが。
ちょっと論文的な構造になると思われます。
所謂、文才の凡才さを露にすることとなるのですが、これも非凡への一つへの道かと思います。
以下、私的観点での考えです。
最近私が感じることはハイテク、つまり「近代科学技術」についてだ。
これらの「近代科学技術」は私達の現在生きる人類にとって人々の生活に
大きな変化をもたらしたといっていいだろう。
そして、それらの科学的進歩は日々というよりかはむしろ、一刻一刻の内に
急激なる成長を遂げている。
ヒトは楽を求めて更なる進歩を願うのか。いや必ずしもそうとは限らない。
ではなぜ、自分達の手によってそれらを高等なものへしようとするのか。
それはヒトが何もかもを自由に操れることを願うことに他ならない。
かつて様々な事象に対してヒトは不安を抱き、恐れてきた。
しかしそれは年を重ねるごとに、そのことへの対抗という概念を生み出した。
その対抗こそが科学的なものと言えるだろう。
そして今、ヒトは急激に加速しつつあるこの現代社会の中に生きている。
更なる成長を遂げた「近代科学技術」は、私達の生活を根本から支え
日々の生活を送る上でなくてはならないものになりつつある。
しかし本来様々な事象に対抗するため、そして私達の生活を支えるべくして生まれたそれは、
いつのまにか私達の周りにある生態系そのものを大きく破壊しているところに
逆説(パラドックス)を感じずにはいられない。
抗するために生まれたはずの「科学技術」は事象の原因となりうる自然を破壊し、
そしてそこから生まれる新たな不規則かつ予測不可能な事象が起こりうる。
これはやがて私達の生活を脅かすこととなるに違いない。
今こそ我々人類は歩んできた文化を見直し、再建する必要性がある。
既に私達の生活は、この逆説的渦中に呑み込まれているのだ。
以上です。ここ矛盾してるよ。などなど色々指摘お待ちしております(笑)
この空いた期間に色々なことがありました。
まず、ボード行きました。今シーズンの記念すべき初滑りの舞台となったのは、
野沢温泉スキー場です。去年と比べて雪が余り積もってなくて、
地面むき出しの滑走路とかもあったりして、うーん。という感じでしたが、
ゴンドラに乗って山頂付近まで登ると、雪質も良好でいい感じでした。
詳細については、ここでは伏せることにします。
敢えて。
いや、本当は面倒臭いだけ。
ところで人は命を賭けた何らかの事象を終えた後、変わる。
ということを小耳に挟んだのだけども、それを実際に行動に移した女性がいるらしい。
その名は「卑弥呼」。
新年早々嘘つきましたね。すいません。
あ、俺が嫌いなのは「嘘つく人」ですが、それにも結構違いがあるんですね。
嫌いなのは、嘘をついて人に迷惑をかける。もしくは不快感を与える人、ですね。
卑弥呼で不快感を覚えた方、全力で謝ります。すいませんでした(泣
と、脱線しかけたところで本題に戻ります。
その女性の名は知りません。
彼女はまだ日本が戦争時代の頃の方ですが、ある日何らかの形で拳銃を手に入れたらしいです。
リボルバー式のです。『ロシアンルーレット』というものをご存知かと思いますが、
弾を6発の内1発だけど込めて銃口を顔(こめかみ)に当てて、引き金を引く。という類のものです。
それを実行したのです。人間誰しも怖いもので、人生残りどうでもいいと考えると
こんな恐怖的な行動も可能にしてしまうのですね。
実行する前に彼女は、このから5発の内の1発にあたって生き延びた場合、何かすることを見つけよう。
と決心したそうです。見事彼女はからの弾に当たり、『生きる』ということに成功したのです。
相当の決意がないと出来ないものだと思います。
それから彼女はカメラ(写真)というものに出会い、海外の全国でも有名な写真家になったそうです。
すごいじゃないですか。俺は、賞賛すべき行動だと思います。誰にでも出来ることじゃない。
ですが、決して誤解をしないで下さい。「死ぬ」ということに対して肯定している訳ではありません。
これは、自分に対しての賭け。いわゆる挑戦です。失敗したら終わり。
そういうまさに修羅場を潜り抜けてきた者は、強靭な精神力をもてると思う訳です。
最後に。勘違いしないで下さい。
「死ぬ」という賭けを自分自身で試すことについては完全に否定です。
ただ、自分に死ぬぐらいの決意を持って何らかの夢、或いは希望に向かって努力をすれば
人は変われる。ということを教えてくれた彼女の人生だった。ということを言いたいのです。
とりあえず、少し過ぎてしまったが・・・。
新年、あけましておめでとうございます。
早々と過ぎ去っていった2006年でした。
最近は常々時が過ぎるのは早いと感ぜられる。
「時」とは過去から現在(未来)へとどまることなく過ぎ行くもので、
この「時」の流れ、というものは必ずしも絶対的とは言えず、
時には相対的として、人それぞれの感覚で左右される。
流れを巧く使うか、もしくはただ流され続けるかでは大きく異なるのだ。
いかにこの身勝手に過ぎ去って行く「時間」に意味を含ませていくか、
つまり「時間」という存在に流されるのではなく、
自分自身でそれを価値あるものに変え、それを刻んでいく。
これが重要なのではないかと思う。
人それぞれ一様の速度で過ぎるのではなく、流れは別々だが
その裏側にある「時間」というものは、共通した存在なのである。
この大きな流れに呑み込まれることなく、舵を巧くとり目的地へ達すること。
これが今年の大きな目標だ。
だが、自分という個々の存在はこの大きな時の流れの前では、
なんとちっぽけな存在なのだろう。としみじみ思われる今日この頃だ。
2007.01.01 更なる飛躍を願い。 Vedrfelnir
漢詩のような詩を綴ってみました。
前々から書いてみたいな、とは思ってたのですが中々機会がなく、今日やっとできました。
漢字の意味や読み仮名などは詩の下に記載してあるので、
見ながら読むと、わかりやすいのかな?
さて、それはそうと最近めっきり冬ですね。
誰がどう言おうと冬ですね。
最近では学校で一番よく聞く言葉が遂に「寒い」になりました。
いや、こうなることはわかってたんです。
夏が迫ると次第にランキングは「暑い」に変わります。
必然です。
こうして使われる言葉なども、その季節によって変わるんですね。
だけど、日本は四季が存在して本当に自分は嬉しいと思うんです。
色々なデメリットはあるけれども、様々な体験や景色に出会える。
自分の場合だと、春は花粉がとても腹立たしい存在に変貌するんです。
私の鼻をこれでもか、というぐらい攻め立てるのです。
本当にアイツらは嫌な奴ですよ。
だけど、桜が綺麗だし晴れやかな気分になれます。
夏は暑い。ただ暑い。そして何よりこの季節に腹立たしいのは夜中に耳元に飛ぶ蚊。
アイツらは何なのでしょうね。私の血を飲むだけなら許してあげます。
が、飛ぶときのあの音。どうにかならないんでしょうかね。何度起こされることか。
居なくても食物連鎖に何ら影響は無いと思うこの頃でございます。
アイツらは窃盗罪及び業務上過失です。
秋は一番過ごしやすいのかもしれません。
月が朧に浮かび、紅く色づけされた葉が景色を彩ってくれます。
涼しく、読書も進み、食欲もでますね。素晴らしい。
ただ、秋の終焉は序所に寒くなります。
冬は寒い。ただ寒い。北風が寒い。
だけどこの季節ならではのスノーボードは一年の中で毎年待ちわびますね。
毎回楽しみにしてます。爽快で雪に浸透したボードで滑り降りるのは最高です。
一年に二つ、もしくは一つしかないなんて国は本当に悲しいですね。
二季国憐れみの令ですね。
まあそんな感じで今年の冬も滑りまくります。
寒いけど。